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【歴史】たった5分で結構知ったかぶれる!?発生から25年、天安門事件!!【後編】【中国】

第一次天安門事件
1976年1月鄧小平(とうしょうへい)と協力して国力の復活に勤めていた周恩来(しゅうおんらい)が、病気で亡くなります

同年4月5日天安門広場にある人民英雄記念碑には多くの市民からその周恩来死を悼んだ花輪が飾られ、それと同時にあちこちに現体制を批判する内容のプラカードが立てられました。

しかし、北京市当局がそれらを無理やり撤去。激昂した民衆が公安当局と衝突、武力でもって制圧されました。

 

 

なぜ、こんなことになったかというと、毛沢東は確かに鄧小平や周恩来に国の復興を命じていたのですが、この二人は毛沢東の4番目の夫人 江青を含めた4人の文化大革命の強硬派「四人組」激しく対立していたのです。また、周恩来文化大革命で愛する養女を失い、またその被害者となった知識人や官僚をたびたびかばう行動を取っていました。

文化大革命で疲れきっていた市民はこれらのことを知った上で、上記の行動を取ったのです。

事件の直後、四人組と対立する鄧小平はなんと影の首謀者にされてしまい、失脚します。そしてこの事件は、先立って行われ学生や知識人たちによる民主化デモを包括して扱われました。しかし、同年9月に毛沢東が死去、四人組は逮捕され、局面は一転します。


第二次天安門事件
そして13年後の6月4日天安門広場で再び事件が起こります。きっかけとなったのは、中国共産党中央委員会総書記 胡耀邦(こうようほう)でした。彼の死をきっかけに、10万人の民衆天安門広場に集まり、当初は追悼名目でしたが、だんだんとエスカレートし政府に民主化を求めるデモへと発展していきました。

なぜ胡耀邦の死によって人々は駆り立てられたかというと、毛沢東の死後、中国共産党の実権を握った鄧小平の話をしなければなりません。

鄧小平は国の発展のために「改革解放」政策というものを実行しました。

「改革解放」とは、国家レベルでは基本的に社会主義経済だけども、個人レベルでは私的な経営を認めるという内容です。これによって、中国は飛躍的に経済力を高めましたが、同時に社会主義国家であるにもかかわらず、激しい貧富の差があるという矛盾を抱えることになりました。

胡耀邦はそんな鄧小平と行動を共にし、その鄧小平から「天が落ちてきても胡耀邦趙紫陽が支えてくれる」と言わせるほどの信頼を受けた人物でした。

 

しかし、この胡耀邦、改革解放や自由化路線を推進するまでは鄧小平との関係も順調だったもののソビエト連邦最後の指導者であり、ソビエト民主化へ導いたミハエル・ゴルバチョフが行ったペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を髣髴とさせる、「百花斉放百花争鳴」(ひゃっかせいほうひゃっかそうめい)ゴルバチョフとほぼ時を同じくして提唱しました。

 

「百花斉放百花争鳴」はかつて毛沢東が行った政策の一つで、国民から広く自由な意見を集めるために中国共産党に対する批判も歓迎するといったものでした。毛沢東は結局失敗に終わってしまいましたが、胡耀邦はこの政策によって言論の自由を推進しようとしたのです。


このように革新的な胡耀邦は国民から「開明的指導者」として、熱烈な支持を集めました。しかし、これには共産党体制崩壊や自分達の地位や利権を大きく損なうことになうことを恐れた、鄧小平を筆頭とする共産党の長老グループがこの政策に猛反発

結局、道半ばで挫折してしまいます。


そして、この二年後1989年4月胡耀邦心筋梗塞で急死民主化に熱心だった胡耀邦の死に触発された民主化推進派の大学生が、北京市内で小規模の民主化集会を行う様に。その規模は次第に拡大しデモに発展、10万人が天安門広場に集まり民主化を訴えました。


事態の悪化に憂慮した政府は、人民大会堂胡耀邦同志追悼大会なんてものを開催したりするも、民主化運動は収まる気配をみせません。

その後、ソビエトゴルバチョフの訪中で落ち着きをみせるも、一時的でしかなく、戒厳令をしくも抜本的な解決にはならず。

そして、中国共産党政府はついに1989年6月4日集まりに集まった天安門広場民主化を訴える100万人の市民に向かって、発砲と装甲車を群集に突撃させるという武力弾圧をおこないました。

被害は、中国政府の発表によると死者は300人程度といわれていますが、死体をその場で処理するなどの隠蔽とも取れる行動が見られたことから、死者数に関しては諸説ありまして、数千人説や数万人説も存在します。

また現地では、ビデオカメラなどによって広場に集まった人間の徹底した情報収集が行われ、デモが解散後に参加者の多くが逮捕されました。


この事件によって、中国の民主化運動熱は急速に落ち込み、今に至ります。

 

冒頭で、個人的にたどり着いた天安門事件の結論は「中国人めちゃ民主化したい」と書きましたが。これだけ、独裁によって多大な被害を被ってきた人民が、その支配から逃れたいと思うのは当然の様に思えます。

 

多くの識者が語るように、その不満は遅かれ早かれ、いつか必ず再び爆発するでしょう。そうなったときに、悲劇を繰り返されないよう願いたいものです。


現在でも共産党一党独裁である中国。事件から25年たちましたが、いまだに言論の自由は保障されていません。それを証拠に、中国では以下のような現象が見られます。

 

中国でグーグルが接続不能、天安門事件25年を前に=監視団体 | Reuters

中国でNHKニュース数分間にわたり中断 天安門事件の報道 - MSN産経ニュース


早く民主化すればいいのにと思いますが、他国の人間からそんなこと言われるのは余計なお世話で、「やれるならとっくにやってるわ!」って話なんでしょうね。こういう、お隣の国の複雑な情勢を見ていると、こちらもなんだかんだあるお国ですが、はるかにましだなと、自分でいうのもなんですがなんとも頼りがない自国愛を感じる今日この頃です。

 

ちなみにわたしは、ずいぶん前に天安門広場に実際に行ったことがあります。やたらと広いという以外、これといった印象はなかったですね。

それよりも、衝撃的だったのがその天安門広場の公衆トイレに入ると、おっさんがドアを閉めずにモリモリ ウ〇チしてた事ですね。

日本じゃまずありえないので、かなり衝撃を受けました。最後が下品な話でどうもすみません。