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【歴史】たった5分で結構知ったかぶれる!?発生から25年、天安門事件!!【前編】【中国】

中華人民共和国北京市にある天安門共産党人民解放軍民主化を求めるデモ隊に武力弾圧を行った、いわゆる天安門事件が起こってから、今年で丸25年です。

現在各メディアにて、特集記事が組まれています。しかし、私もそうなのですが、民主化運動だとか、デモ隊が戦車にひき殺されたとか色々言ってるけど、結局天安門事件って何なのかよくわからん!!という方、沢山いらっしゃると思います。

なので、これを機会に一度事件について簡単にまとめてみようと思いました。わたしが導き出した結論は一言でいうならば


中国人はめっちゃ民主化したい です。

 


◎そもそも天安門とは?

天安門天安門と、当たり前のように言っておりますがそもそも、天安門ってなんなのでしょうか?

天安門とは、15世紀初頭 「明」の時代に建てられ現在世界遺産に登録されている「故宮」こと「紫禁城」の正門です。かつては「承天門」と呼ばれていましたが、明王朝滅亡時の動乱の影響受けた二度目の焼失の後、次の政権である清の皇帝の手によって再建され「天安門」という名に改名されました。

そして現在は、1949年毛沢東中華人民共和国の建国宣言をこの門の上で行ったことから、中国の国家を象徴する建築物とされています。

 

天安門事件は二度あった!?
天安門事件とは天安門で起こった大規模事件の総称だそうで、実はその大きな事件は過去に二度起こっているそうです。どちらも「ある人物」の死をきっかけにして起こりました。
一度目は1976年4月5日の四五天安門事件(第一次天安門事件)

 

二度目は1989年6月4日の六四天安門事件(第二次天安門事件)
そして今日我々日本人が天安門事件と読んでいるのは二度目の六四天安門事件のことなのです。

では、二つは関係ないのかといいますとそうではありません。なので、現在再び各所で取り上げられている第二次天安門事件を知るために、まず第一次天安門事件を振り返ってみたいと思います。

 

しかし、事件を振り返る前にどうしても確認しておかなければならない、現代中国を語る上で欠かせないキーワードがあります。

それは、毛沢東 大躍進政策 文化大革命 です。

 

◎英雄 毛沢東とトンデモな大躍進政策
毛沢東を知っているという方は多いかと思われます。彼は、中国共産党の創立党員の一人であり、日本が連合国に敗北した後の中国国内で、蒋介石率いる国民党との内戦に勝利し、現在の中華人民共和国を築いたいわば、建国の父です。そして、20世紀に世界中の人に影響を与えた思想家でもあります。

しかし、毛沢東はカリスマではあったかもしれませんが、一政治家としてはトンデモでした大躍進政策がまさにそれです。

 

「世界第2位(当時)経済大国のイギリスを3年で追い越す!」
「一年で鋼鉄の生産量を500万トンから1000万トンにする!」

 

このように、毛沢東小学生が聞いても無茶と思われる政策を実行しようとしました。そしてこれらが実現しなかっただけならまだよかったのですが、実現させようとした結果、石炭を大量に消費し肝心の正規工場が燃料不足で操業停止。

農民にまで、燃料が行き渡らなくなり、その為に山の木々が伐採され、禿山が増え、その為に田畑が痩せ、農業生産量はがた落ち、大雨の度に土砂や洪水が頻発するようになりました。

 

それだけでなく、科学的にまったく根拠のない農業指導や、スズメを「害鳥」として駆除したことによって、田畑を全て食い尽くす「イナゴ」が大量に発生するなど、ありとあらゆる政策が失敗に終わり、結果的に政策が行われたたった数年で数千万人の国民が餓死したという最悪の結果となりました。

 

これには、さすがの毛沢東もその責任から逃れることは出来ず、国家主席を辞任し中央政府から足を引きます。


文化大革命
しかし、大躍進政策の傷を引きずり、貧困にあえぐ国民の中の特に若者達の間で、かつての大英雄 毛沢東を神格化する動きが活発化し、その後押しもあってなんと毛沢東中央政府に返り咲きます。そして行われたのが、文化大革命です。
内容は資本主義文化の批判と、彼が提唱する新しい社会主義文化の創生を目的とした、社会運動&思想運動でした。ただ、その実は自身の復権と権力の確立にあったとされています。
英雄 毛沢東の思想に賛同した若者は述べ数100万人を数え紅衛兵として、理想社社会の成就のために、毛沢東の思想に反する、もしくは少しでも疑わしい人間は問答無用で弾圧していきました

 

そして、この運動は瞬く間に中国全土に拡大。多くの知識人、官僚が犠牲となり、改革のための伝統文化の否定やマルクス主義の影響で、教会や寺院、歴史的文化財、芸術作品がことごとく破壊されていきました。あまりの過激さにもちろん国内で反感はありましたが、政府内でも絶対権力者である毛沢東だれも逆らえず、批判するものはことごとく弾圧されてしまいました。

この文化大革命は国内に大混乱を招き、実質的な内乱状態を生み出しました。そしてそれは1965年から約十年間おこなわれ、その結果少なく見積もっても述べ数千万人、説によっては一億とされる死者を出しました。


文革大革命の最中、毛沢東は行き過ぎた運動に危機感を覚え、一度追放した鄧小平(とうしょうへい)という人物を中央に呼び戻します。その鄧小平と一緒に、国力を復興しようとしていたのが周恩来(しゅうおんらい)。この周恩来こそ第一次天安門事件の引き金となった人物です。

 

【後編】に続く。